大阪府貝塚市を走る水間鉄道は、5・5キロと全国3番目に短い営業路線ながら、営業運行開始から今年100年を迎える老舗の鉄道会社だ。同社を率いる藤本昌信社長(68)は京阪電気鉄道、大阪市交通局をへて社長に就いた官民両方を知る鉄道のプロフェッショナルだ。かつては「リストラの鬼」として合理化をおし進め、現在は人口減少が目立つ沿線で「街の元気」づくりに全力をあげる。
逆風下 黒字化目指す
大正14(1925)年に水間寺への参詣鉄道として開業した水間鉄道は、最盛期の昭和40~50年代は年間約400万人が利用し、約20億円の利益をあげていた。しかし、近年は沿線人口の減少などに伴い、180万人前後の利用にとどまっている。
「昨年度までの3年間は各地の鉄道会社と同じで、コロナ禍により絶不調。利用客は130万人まで落ち込みました。令和6年度の利用客は175万人程度とコロナ禍前からわずかな減少に持ち直す見込みで、7年度は営業黒字の確保を目指しています」
街の元気さと鉄道の収支は比例するという。繊維が国内の主力産業だった昭和40~50年代、繊維に関連する有名企業が貝塚市や岸和田市、泉大津市など泉州地域(大阪府南部)に集積。多くのビジネスマンが行き交っていたが、その後の繊維産業の失速が鉄道不調の原因のひとつと分析する。
岸和田市出身。数百人規模の従業員を擁する化学合繊会社を営む家の長男として生まれた。中学時代から柔道に打ち込む。高校卒業時も父からは家業を継げと進学に反対されたが、「将来性がない」と考え、柔道も続けたいとの思いから京大農学部に進学。卒業後、京阪電鉄に入社し、平成6年にグループの京福電鉄に移り、副社長まで務めた。
「鉄道マンになりたいと思ったことはないのですが、当時の京大柔道部のOB会会長が京阪電鉄の会長。京阪に来いと声をかけられ、そのまま入ることに。その後の京福電鉄も柔道部の先輩から『手伝いしてあげたら』と言われるがままに移りました」と振り返る。
京福では経営改革に辣腕(らつわん)をふるい、赤字のバス路線の不採算路線見直しなどに尽力する。労働組合との協議に力を発揮し、事業再生のため、賃金カットに踏み切ったものの、労組は理解を示したという。このため、関西の鉄道業界の一部からは「リストラの鬼」と呼ばれたこともある。「厳しい経営者であったと思う」という。
これらの実績から平成24年、大阪市交通局の局長に抜擢(ばってき)された。橋下徹市長(当時)からの一本釣り。市営地下鉄と市バスの民営化に着手する。
「京大柔道部の先輩で、当時関経連会長だった森詳介さんと、京阪電鉄社長を務めた大阪商工会議所の佐藤茂雄会頭から『橋下さんが地下鉄・市バスの画期的な変革を目指しているから行ってくれへんか』と言われて。『現役の鉄道経営者が欲しい』というのが橋下さんのオーダー。財界の推薦で会ったのが結果的に一本釣りにつながった」という。
「橋下さんは民営化の一点張りだった」と振り返る。「橋下さんには『人の意識を変えるには5年かかる。バスは実質80億円近い赤字があり、民営化できない』と申し上げた」。しかし、橋下氏からの返答は「4年で民営化してくれ」だった。
コストカットへ1人4役
平成24年に、大阪市交通局の民営化を4年間でなしとげるよう橋下徹大阪市長(当時)に依頼を受けた藤本さん。「自分のやり方でやらせてくれるなら」と受け入れ、市営地下鉄と市バスを、大阪メトロと大阪シティバスに生まれ変わらせるため奔走した。
「28年3月の退任の際に、橋下さんからは『120%やっていただきました』と言葉をもらいました。それが、彼の年寄りを使うのがうまいところですね」
そして退任後の30年、水間鉄道の社長に請われ、就任する。打診を受けた際、周囲に相談すると「やめておけ、水間鉄道は(経営が)もたない」という声ばかりだったが、逆に「それならば黒字にしよう」と意欲がわいた。
「鉄道は固定費が非常に高く、5・5キロの路線での黒字化は難しい。コストを徹底的にカットするため、私が社長のほか人事、経理、総務の部長を兼任しました。一方、保線などを担当する技術陣は1人だけだったが5人に増やし、安全に関わるコストは十分にかけました」
水間鉄道には思い入れがある。幼いころ、初めて水間鉄道に乗ったときのことを今でも覚えている。「保育園では昼寝を拒否して園に行かず、その後に入った幼稚園でも極度の偏食で給食の玉ねぎが食べられずに登園拒否。同居していた祖母が心配し『ちゃんと通園できますように』と、水間鉄道に乗って毎日水間寺に通っていました」という。
水間鉄道沿線の水間寺は、昭和36年から12年間、作家で僧侶であった今東光(1898~1977年)が貫主を務めており、当時、参道は多くの露店でにぎわっていた。
今、全国各地の鉄道で赤字路線が問題化し、廃線議論も交わされている。水間鉄道を含め、地域鉄道は今後、どうあるべきか。
「日本には廃線が現実味を帯びている路線がたくさんある。新幹線を国土の動脈とすれば、その他の路線は静脈や毛細血管」と例え、「人体すべてを維持するために、血の通わない、人が乗らなくなった路線を存続させるのは情緒的にはありでも、経済合理性からいうとなしになるでしょう」とシビアにみる。
そのために「街の元気さが必要」と強調するが、「これは一鉄道会社だけではどうしようもないことかもしれない」ともいう。
水間鉄道の次の100年に向け「いらなくなった毛細血管にしてはだめ。必要な肉体を維持するため、貝塚市や周辺の街を元気にする」というのが今年の目標だ。
具体的には、流入人口を増やして定住者を呼び込むには何ができるか、また海外からの客をどうすればこの街に引き寄せられるか、この2つに取り組みたいという。
観光客の呼び込みも大切だが、日本人観光客を増やすことは難しいとみて、台湾からの観光客に狙いをつける。「台湾の方に来てもらえるよう、彼らが望むものを見定める。車両内や水間寺などで行っているプロジェクションマッピングが、海外の方には珍しがってもらえているようです」と話す。外国人観光客の取り込みで、利益が毎年5千万円から1億円出る会社にするのが目標だ。(藤原由梨)
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ふじもと・まさのぶ 昭和31年、大阪府岸和田市生まれ。京都大農学部卒。京阪電鉄から京福バス社長、京福電鉄副社長をへて、大阪市交通局長に。平成30年から水間鉄道の社長を務める。
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