日本最大の前方後円墳、大山(だいせん)古墳(仁徳天皇陵、大阪府堺市堺区)について、宮内庁は29日、今月上旬から実施している発掘調査の現場を報道陣に公開した。墳丘を囲む三重の濠(ほり)にある堤では近世以降に土を盛って大幅にかさ上げしていることが確認され、築造当初から大きく姿を変えた様子が分かるという。
堤の護岸工事に備えた状況確認のため、古墳北西部で、一番外側の第3堤やその内側の第2堤などの7カ所を調査。どちらの堤でも本来の地表面から近世以降に大きく土が盛られていることが分かった。
第2堤では現在の地表面の約2メートル下で古墳築造当初の石敷きを確認。2018年と21年に最も内側の第1堤を調査した際には地表面近くから円筒埴輪(はにわ)の列が見つかっており、当初は第1堤と第2堤で高低差があった可能性があるという。また円筒埴輪の破片も見つかり、第2堤でも同様に並べられていたとみられる。
最も外側の濠は、江戸時代の元禄期に埋め立てられ、明治中期に掘り直されたという記録が残る。調査を担当した宮内庁陵墓調査室の土屋隆史・主任研究官は「おそらく明治期に掘り直された時にその土が盛られたのだろう。築造当初は自然の地形に合わせ効率的に造られたが、明治期には厳かさを強調するために高さをそろえるという大規模な造成をしたのではないか」と話す。
この日、歴史・考古学の17団体の研究者ら約40人にも現場が公開された。日本考古学協会の岩本崇・陵墓担当理事(島根大准教授)は「造成以前は堤と濠の水面があまり変わらなかったのだろう。近代で大きく陵墓のイメージが変化したことが分かる」と話した。調査は12月上旬まで続く。【花澤茂人】
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