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大阪・堺に長~~~い石垣があるのなんでやねん!? 「的外れな推理にもほどがある!」イケメンタレントとアナウンサーがまさかの謝罪!?

大阪府堺市には、長~~~い石垣がある。何かの遺構らしきこの石垣には、100年以上前のある出来事が関係していた! 謎の石垣を調査したA.B.C-Z塚田僚一とABCテレビの福井治人アナウンサーは、堺市民に謝らなければならなくなり……!?

長~~~い石垣は、阪神高速湾岸線の大浜出入口付近にある大浜公園の外周に沿って築かれている。ただの公園の外壁にしてはかなり頑丈な造りで、古い歴史が秘められていそうだ。

大浜公園のそばには、猿飼育舎が。実はここは、塚田が福井アナの前任・古川昌希アナと過去に調査済み。明治36(1903)年に第5回内国勧業博覧会の会場だった大浜公園には、“東洋イチ”と言われた堺水族館があり、猿飼育舎の前身・猿島はその一部だ。そのため塚田は、長~~~い石垣=「水族館の敷地を区切るための塀」と考えた。

そばにあった津波避難情報の看板から塚田と福井アナは、「高潮や津波から守るために石垣を造った」とも考えたが、とことん公園を調査することに。やがて2人は、明治15(1882)年に存在したレンガ工場の敷地跡を発見し、「あの長~~~い石垣は、堺水族館よりも前にこの場所にあったレンガ工場の壁!」と確信した。

しかし、その予想は大外れ! 歴史探訪プランナー・森なおみさんいわく長~~~い石垣は、「100年以上前にあったある出来事をきっかけに造られた、とても貴重なもの」「今はもう役目を終えて、平和の象徴になっている」とのこと。「大浜公園の北側に答えがハッキリ書いてます」と森さんから特大ヒントをもらい、塚田と福井アナは「めちゃくちゃコレ100点チャンスじゃん!」「本当コレは取らないと絶対ダメ!」と意気込んだ。

さっそく大浜公園の最北端に来た塚田と福井アナは、謎の小高い丘にある不自然に短い階段を発見。その先には、調査している長~~~い石垣がある。「“公園の北側”というのは、公園の外のことでは?」とひらめいた2人は、大浜公園を出たさらに北側で、旧堺燈台の史跡を見つけた。

明治10(1877)年に造られた旧堺燈台は、所在を変えずに現存する日本最古の木造洋式燈台で、国の史跡に指定されている。そこで塚田は、燈台の石造りの土台に注目して、長~~~い石垣=「高潮や津波などの災害から守るための石垣」と推理。しかし、福井アナがいまいちピンとこなかったため、2人は妥協せず調査を続けた。

さらに北を攻めた塚田と福井アナは、かつて塚田と古川アナが調査した龍女神像(りゅうじょしんぞう)の周辺へ。説明板から龍女神像が、「第5回内国勧業博覧会の堺会場となった大浜公園の水族館前に設置されたもの」で、堺市によって一度撤去されるも、「平和と繁栄の象徴」として復元設置されたことが判明した。

そこで塚田と福井アナは、100年以上前のある出来事=今の万博に匹敵するイベントだったと言われる「第5回内国勧業博覧会」と仮定。そして、「平和の象徴として会場内にあった龍女神像と同じように、(外壁だった)石垣もその象徴として残されている」と結論付けた。

しっかり足で稼いで調査し、自信満々な塚田と福井アナだったが、推理の結果は100点満点中……まさかの0点! あまりにも的外れな推理のため、森さんから「堺のみなさんに謝って!」と呆れられてしまった。

森さんが言っていたハッキリ書いてある答えとは、龍女神像の目と鼻の先にある大浜北公園内の堺北台場跡! 台場とは海岸防衛施設のこと。実は長~~~い石垣は、かつて「堺南台場」と呼ばれ、砲台が並んでいた場所だ。その背景には、江戸時代末期のペリー来航以降に、日本が外国の脅威にさらされたことが関係している。大阪や京都の入口となる旧堺港を守る重要な施設として、昔の日本は南北それぞれに台場を築いたのだった。

なお、長~~~い石垣の謎は、情報番組『newsおかえり』(毎週月曜~金曜午後3時40分、ABCテレビ)内の「福井×塚田のなんでやねん!?」11月25日放送回で紹介された。

大阪・堺に長~~~い石垣があるのなんでやねん!? 「的外れな推理にもほどがある!」イケメンタレントとアナウンサーがまさかの謝罪!?(ABCマガジン)

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