正月1~3日の三日間は、毎年「正月法会」が執り行われ、「千本餅つき」は、その2日、3日に行われます。
この行事は、当山に古来より伝わる唯一の行事で、ご本尊の出現を祝い、行基菩薩が、先導された十六童子と共に木の棒で歌に合わせて餅をつき、ご本尊にお供えしたのが厄除け餅の始まりで、以来今日まで伝えられています。
千本餅つきが大阪府郷土芸能として出演する
- 昭和四十五年
- 日本万国博覧会出演
- 昭和五十年
- 沖縄海洋博覧会出演
- 平成二年
- 国際花と緑の博覧会出演
千本餅つきのはじまり
その起源は、伝承によると行基菩薩(水間寺を開基)が、この地を捜し求めて歩かれたとき、十六人の童子が出現し、鳥羽村(現在の貝塚市鳥羽)まで迎えに出て、水間の地に案内した。 そのとき現れた白髪の仙人が一体の仏様(本尊聖観世音像)を行基菩薩に手渡された。十六人の童子は、観音出現を祝い、木を切り棒を作り、喜びの余り手に手に千本の木をもって、座の歌に合わせて餅をつき、本尊を供養したのが水間寺千本搗き行事、厄除け餅の始まりで、以来現在まで伝えられているものである。 現在この千本搗きの餅をつくのは、正月2,3日で、座の若中(座入り者で父親の健在な長男、但し長男の子が座入りするとその子に譲る)の仕事となっている。歌は掛け声で始まり十四番までの長いもので、概ね江戸時代の作と考えられ、現在歌われている歌詞は、近年募集して作られたものもあり、併せて歌われている。