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【近大×100年】第2章:1期生として医学部の50年を見てきた病院長が語る、堺市へのキャンパス移転と看護学部開設への想い(Kindai Picks)

近畿大学は2025年に創立100周年を迎えます。100年の歴史のなかでも1974年に設置された「医学部」は、近大にとって大きなターニングポイントとなりました。今回は医学部1期生で、現在は近畿大学病院(以下、近大病院)の病院長を務める東田有智先生に、医学部設置による大学の変化や、2025年11月に予定されている堺市泉ヶ丘への移転に対する思いなどを伺いました。Link

東田 有智(とうだ ゆうぢ)

近畿大学病院病院長(近大病院統括)/特任教授
専門:アレルギー内科・呼吸器内科
1980年近畿大学医学部卒業後、同医学部第4内科へ入局。1991~92年に米国Mayo Clinic に留学しResearch Fellowとして研究に従事した後、帰国。近大医学部第4内科講師、助教授を経て、2002年同呼吸器・アレルギー内科教授に就任。近畿大学医学部附属病院(現・近畿大学病院)副病院長等を歴任し、2016年10月より同病院長を務める。専門領域はぜんそく、アレルギー性呼吸器疾患、ハチアレルギー等のアレルギー疾患および慢性閉塞性肺疾患、肺炎、肺がん。2020年には一般社団法人日本喘息学会を設立、初代理事長を務める。日本アレルギー学会アレルギー専門医、日本呼吸器学会呼吸器専門医。
教員情報詳細

石塚 理奈(いしづか りな)

2016年近畿大学文芸学部文学科卒業。東大阪市をホームタウンにするJリーグクラブ FC大阪のスタジアムMCや、ABCテレビ『本日はダイアンなり!』などのTVリポーター、イベントMC、大阪府庁公式行事の司会など多岐にわたって活躍。趣味は映画鑑賞、スポーツ観戦。

近畿大学医学部1期生として入学。呼吸器・アレルギー内科の道へ

以前、近畿大学名誉教授であり第3代近畿大学校友会会長の亀岡弘さんから「医学部設立が近畿大学躍進のひとつのターニングポイント」という話を伺った石塚さん。今回は転換のきっかけとなった医学部設置をクローズアップし、お話を伺いました。

石塚:本日はよろしくお願いいたします! 2016年に近畿大学文芸学部を卒業しました石塚理奈と申します。

東田:こんにちは。よろしくお願いします。1980年に近畿大学医学部を卒業した東田です。アレルギー内科・呼吸器内科を専門とし、現在は近大病院の病院長、特任教授を務めています。

石塚:早速ですが、東田先生のこれまでについて教えてください。いつから医学の道を志していたのでしょうか?

東田:はっきりとは覚えていないのですが、小学生のときの作文で「将来は医者になる」と書いていたらしいです。

石塚:へえ! ご家族の方が医療従事者だったのでしょうか。

東田:いいえ。親戚にはいましたが、特に影響を受けたわけではありません。気がついたら「医者になりたい」と自然に考えるようになっていましたね。

石塚:1974年、東田先生は近畿大学医学部の1期生として入学しています。当時の様子はいかがでしたか? また最初からぜんそくやアレルギー疾患を専門にしようと考えていたのでしょうか?

東田:もともとがん治療に興味があり、最初は外科志望でした。ただ、私自身がりんごの皮をむくのが苦手なくらい(笑)手先が不器用だったのと、内科の教授からお誘いいただいたこともあって、アレルギー内科・呼吸器内科へと進むことにしました。当時キャンパス周辺にはなにもなく、19時を過ぎる頃には店も閉まる状態。遅くまで勉強するときは、堺市まで買い出しに出かけて、また戻って……といった日々でしたね。

石塚:そうだったのですね。卒業後のキャリアについても教えてください。

東田:1991~92年に米国のMayo Clinicに留学し、Research Fellowとして研究に従事しながら免疫やアレルギーについて学んでいました。周囲からの刺激も受けて必死に勉強していましたね。帰国後は近畿大学医学部第4内科の講師、助教授を経て2002年に呼吸器・アレルギー内科教授に就任しました。

「喘息診療実践ガイドライン」を刊行。ひとりでも多くの患者さんを救いたい

石塚:2016年には近大病院の病院長に就任しています。これまでの歩みを振り返って、特に印象に残っている取り組みについて教えてください。

東田:患者さんが安心できる医療をモットーに活動しているため、どの取り組みもやりがいがあり、印象に残っています。あえて挙げるなら、2021年に非専門医向けの「喘息診療実践ガイドライン」を発刊したことです。この取り組みは、医療業界においても大きな一歩となったように感じています。

ぜんそくの潜在患者さんは日本国内に約1,000万人いるといわれています。これは高血圧や糖尿病と同じくらいの患者数です。人数が多いからこそ「この病院では診てもらえる」「こっちの病院では無理」といった差があってはいけません。どの病院でも同じ治療を受けられるようにすべきなのですが、長らく実現が難しい状況でした。そのような背景から、2020年に日本喘息学会を設立し、翌年に喘息診療実践ガイドラインを発刊したんです。

石塚:それまではそういったガイドラインはなかったのでしょうか?

東田:はい。どうしても専門書レベルになってしまうため、読める人が限られていました。

石塚:喘息診療実践ガイドラインにはどのような内容が記載されているのでしょうか?

東田:問診の重要なポイントやぜんそくの多様な臨床症状、患者さんごとの背景を検討した最良の治療方法の選択などは毎年改訂を行って、最新の情報を盛り込んでいます。また、ぜんそくの「病態」「診断」「検査・評価」「治療」「合併症」といった基本的な情報も盛り込み、ぜんそくを専門としない医療従事者だけではなく、患者さんも含めたぜんそくの診療に関わる全ての人にとって参考になるガイドラインにしています。

石塚:医療従事者、患者さんからの反応はいかがですか?

東田:これまで非常に多くの方に読んでいただいて、改訂版もすぐに完売しました。役立っていることがとてもうれしいです。ぜんそくで亡くなる方は1950年頃には約1万6,000人もいましたが徐々に減少し、2023年時点では約1,000人となっています。私はこの数字をゼロにすることを目指しています。実現へ向けてガイドラインを役立てていきたいですね。

新キャンパスや看護学部(仮称・設置構想中)の開設を待つ、近大が見据える未来

石塚:前回、亀岡さんからも伺った通り、近大100年の歴史のなかでも、医学部の設置は近大にとってターニングポイントだったといわれています。実際に転換のきっかけとなったのでしょうか?

東田:はい。近畿大学医学部は1974年に、近大病院は1975年に開設されました。医学部と大学病院ができたことは、近畿大学のクオリティー、ネームバリューが格段に上がるきっかけとなりました。医療分野における研究では世界に通用するレベルになったと感じますね。


近大医学部開設当時の上空写真(提供:近畿大学医学部)


医学部開設時のパンフレット。東田先生は1期生として医学部へ入学

石塚:近畿大学にとって大きな飛躍の一歩となったのですね。そんな歴史ある医学部、そして大学病院が2025年11月に現在の大阪狭山市から堺市への移転が予定されています。移転に対して、今どのようなお気持ちでしょうか。

東田:新しい病院では少子高齢化社会を見据えた最先端医療を展開し、近畿大学医学部と近大病院の強みであるがん治療や心臓・脳血管障害などの高度最先端治療の一層の強化に取り組みます。テクノロジーを駆使した病院機能の効率化、人材の確保などにも取り組み、南大阪の基幹病院および救急災害拠点として地域医療に貢献できると考えています。移転することでアクセスも良くなるため、学生の通学のしやすさ、患者さんの通院のしやすさにも繋がるでしょう。

石塚:移転は地域医療の充実へと繋がるんですね。2026年には看護学部看護学科(仮称・設置構想中)も開設されます。

東田:現在、近畿大学医学部・近大病院と連携し高度な医療技術に対応できる看護教育を実践している「近畿大学附属看護専門学校」(※)があります。これまで3年制の中で看護力を育んできましたが、この度近畿大学で4年間学べる「看護学部(仮称・設置構想中)」として新設します。
(※)看護学部(仮称・設置構想中)開設に伴い、近畿大学附属看護専門学校の役割を看護学部(仮称・設置構想中)に継承します

石塚:専門学校から“学部”にすることでどのような変化が期待できますか?

東田:看護「学部」にすることで、就職の幅も広がると考えています。私たちには「近大出身の医療従事者が欲しい」と、あらゆる医療機関から思っていただけるような、世界に通用する人材を育てる責務があります。国家資格を取得させるだけではなく、さまざまな医療現場で活躍できるプロフェッショナルを育て、送り出さなければいけません。医学部、大学病院の移転、看護学部(仮称・設置構想中)の設置は、さらなる優秀な人材を育てるきっかけになるのではと考えています。

患者さんの「ありがとう」が原動力。地域医療や社会に貢献できる人材育成を目指して

石塚:2020年から数年間は、新型コロナウイルス感染症が猛威を振るっていました。医学部も大学病院内も非常に苦しい時期だったのではないかと思います。

東田:そうですね。2020年3月当時は、大阪府内の複数の大学病院と密に連絡を取り合っていましたね。大学病院は酸素投与や挿管などが必要な重症患者さんの診療を中心とし、一般病院は軽症患者さんを診ていただくという役割分担の足並みを揃えるためでした。

東田:他病院では、新型コロナウイルス感染症患者さんの受け入れを救急部門で対応していたところもありましたが、近大病院は南大阪唯一の大学病院です。救急に新型コロナウイルス感染症患者さんを受け入れてしまうと、心筋梗塞や事故などで運ばれた患者さんの命が助からなくなる可能性が、新型コロナウイルス感染症流行当初にはありました。そのため当院では、救急は救急で動かしながら、呼吸器内科が新型コロナウイルス感染症患者さんを診るように対応していました。家族に会えない日々が続き、非常に大変な時期でしたが、仲間たちと一緒に乗り越えましたね。

石塚:当時の経験は今にどう生かされていますか?

東田:どれほど大変でも、やはり喉元を過ぎれば熱さを忘れてしまいます。あのときと同じような予測できない非常事態はいつ起きるか分かりません。だからこそ、医療機関だけではなく国全体で備えていかなければならないと痛感しています。病床、人材を常に確保し、なにかあったときに「いつでも患者さんを診察できます」という覚悟や体制を整えておくという姿勢は今に生きていますし、日本医療が取り組まねばならない課題のひとつでもあると思います。

石塚:コロナ禍を経て医療全体の課題も見えてきたのですね。ここまでお話を伺って、先生の活動の原動力が気になります。

東田:患者さんが元気になって「ありがとうございました」と病院を去っていただけるのが一番のやりがいであり、原動力になっています。私もお話をしていて、若手時代、病院に3週間ほど泊まり込んだ経験を思い出しました。

石塚:3週間もですか!

東田:そうです。でも、それにはれっきとした理由がありました。若い頃は経験が浅いため、患者さんの容態の変化が分からず、治療の見通しも立てられず不安になります。しかし、病院にいるとなにかあった場合でもすぐに対応ができます。そうしていくつも経験を積み重ねていくうちに、患者さんの容態の変化を見通せるようになり、適切な対応ができるようになるのです。見通す力を培うために泊まり込みをしていました。患者さんのためになるなら……と思うと、全く苦にはなりませんでした。そういった気持ちが、現在においても日々の原動力になっているのだと思います。

石塚:先生の患者さんへの思いが伝わります。最後に読者の方へメッセージをお願いします。

東田:近畿大学医学部は設置から50年を迎えました。今後も移転や看護学部(仮称・設置構想中)の設置などを通じて、地域医療の貢献に一層尽力していきます。在校生や卒業生は近大生としてのプライドを持ち、医療業界だけではなく、社会の中心で活躍していける人材になっていただきたいと思います。

石塚:医学部や大学病院の設置は、近畿大学の可能性を未来へと広げてくれるきっかけだったということが分かりました。東田先生、本日はどうもありがとうございました。

文:田中青紗
写真:牛久保賢二
編集:人間編集部プレスラボ
企画・編集:近畿大学校友会

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