鍛冶の子孫と交流
戦国~江戸時代に鉄砲づくりが盛んだった堺市と、日本の鉄砲伝来の地とされる鹿児島県・種子島の交流が今も続いている。今秋、種子島家当主が、同市堺区の資料展示施設「 鉄炮 鍛冶屋敷」を訪れ、鉄砲鍛冶の子孫と親睦を深めた。(前川和弘)
鉄砲は1543年、ポルトガル人によって種子島に伝えられたとされる。諸説あるが、その後間もなく、堺の商人が製法を学び、この地で作られるようになったという。
堺の鉄砲づくりを可能にした背景を、学芸員でもある市文化財課の中村晶子課長は「堺は貿易が盛んで、鉄砲の原材料を入手しやすかった」とみる。戦国時代には職人たちが分業する組織だった生産体制が整えられたと考えられている。
鉄砲は、伝来から約30年後の「長篠の戦い」(1575年)で大量に用いられるなど急速に普及。堺も国内有数の産地に成長した。
江戸時代に入っても、各地の藩のために鉄砲づくりが行われた。しかし、明治の廃藩置県で取引先を失い、兵器製造が官営工場に移ったことで、堺の鉄砲の歴史は幕を下ろした。その後、堺では鉄砲製造で培った技術を生かし、自転車の生産が盛んになったという。
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堺市と種子島(西之表市、中種子町、南種子町)の2市2町は1986年10月、鉄砲の縁で友好都市となった。種子島で毎年8月にある「鉄砲まつり」と、堺市の「堺まつり」に関係者を招待し合うなど、伝来から400年以上たった今も、交流が続く。
10月、種子島家29代当主、種子島時邦さん(75)が、今春にオープンした展示施設「鉄炮鍛冶屋敷」を初めて訪問した。鉄砲の製造場所としては現存する最古の屋敷で、鉄砲鍛冶だった井上関右衛門家から寄託された約2万点の古文書や工具、作りかけの鉄砲などで堺の鉄砲の歴史を伝える施設だ。
井上関右衛門家15代当主、井上俊二さん(78)らに迎えられた種子島さんは「ずっと来るのを楽しみにしていた」と喜び、堺での鉄砲生産について井上さんの説明を熱心に聴いた。市の担当者は「時代を超えて鉄砲が伝わった種子島家と、堺で鉄砲を作った井上関右衛門家の2人がそろうとは感慨深い」と話した。
種子島さんと井上さんは、堺で最後の鉄砲鍛冶が幕末に作った銃を手に記念撮影。種子島さんは「種子島が完成させ、堺が製造をシステム化し、鉄砲が全国に広がった。堺はふるさとのように感じる」と笑顔。井上さんも「種子島があってこその鉄砲文化であり、堺だと思っている。お越しいただけて光栄。今後も交流を続けたい」と語った。
鉄炮鍛冶屋敷では今月20日から来年2月11日まで、企画展「生誕200周年記念 井上関右衛門寿次―歴史を遺した最後の堺鉄炮鍛冶―」を開いている。
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