軍需工業都市だったかつての商都・堺市の旧市街は、大空襲を受けて火の海になった。敗戦間際の80年前、1945年7月10日未明のことだ。【矢追健介】
この時、米軍が無差別に落とす焼夷(しょうい)弾の雨の中を、少女と2人きりでくぐり抜ける16歳の少年がいた。
そんな彼も今や96歳。「どんな人もあんな目に遭ったらいかん」という思いで、あの日のことを後世に伝えている。阿鼻叫喚(あびきょうかん)が聞こえたこの世の地獄は、今もはっきりと記憶に残っている。
堺市は、堀で囲まれた「環濠(かんごう)都市」として栄えたことがあった。
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