岬町の豊かな自然に抱かれた淡輪地区。この地で410年もの長きにわたり大切に守り継がれてきた淡輪盆踊りが、先日、関西万博という国際的な大舞台で披露されました。笛や太鼓、三味線の音色にあわせて優雅に、そして力強く舞うその姿は観衆を魅了し、改めて日本の伝統文化の奥深さと地元への誇りを深く感じました。
単なる盆踊りという枠を超え、先祖供養の精神と地域住民の深い絆が織りなすこの踊りには、一体どのような歴史と情熱が息づいているのでしょうか。
この記事では、時を超えて輝き続ける淡輪盆踊りの魅力に迫ります。
地域を繋ぐ「淡輪盆踊り」
歴史ある街並みが色濃く残る静かな港町が、祭りの準備が進むにつれ活気に満ちてゆきます。淡輪小学校の体育館では、子どもたちに熱心に指導する淡輪盆踊り保存会のみなさんの姿がみられました。(取材日 2025年7月8日)
淡輪盆踊りは、岬町淡輪地区に伝わる伝統的な盆踊り。その歴史は古く4世紀以上にものぼります。起源は、1615年の樫井川の戦いで、淡輪の武将である淡輪六郎兵衛重政が亡くなった際に、住民がその死を悲しみ、淡路島の船大工が沼島で踊っていた盆踊りを真似て踊ったのがはじまりと伝えられています。
地域の歴史、そして人々の記憶と感情が込められた舞からは、深い悲しみと物語性が感じられます。踊り手たちは、かつての武将たちの思いを汲み取りながら、その舞を演じているのかもしれません。
淡輪盆踊り保存会では、27年前から年に一度、地元の小学生に踊りを指導しています。この取り組みは、子どもたちが郷土の伝統文化を学ぶことで、生まれ育った場所について深く知り、愛着と誇りをもつきっかけとなることを願って行われています。また、地域に古くから伝わる貴重な伝統芸能を途絶えさせたくないという強い想いも、淡輪盆踊り保存会が未来を担う子どもたちへ熱心に指導を続ける原動力となっています。かつては、2日かけて全校生徒に指導していましたが、子どもの数が減り、1日で教えきれるように。令和3年4月に過疎地域に指定された岬町は、少子高齢化による地域経済の活力低下や町全体でさまざまな分野における担い手不足などが深刻化しています。
指導者の丁寧な指示のもと、子どもたちは一つひとつの足の運び、手の動き、そして表情に至るまで、全身で410年の歴史を刻む舞を体得していきます。
淡輪の文化と魂を未来へ繋ぐ大切な時間です。
淡輪盆踊りは、1970年の大阪万国博覧会をはじめ、東京で開催された全国青年大会、大阪球場解体時のお別れイベントなど、これまでも様々な歴史的な舞台で披露されてきました。そして、今年も7月28日に開催される関西万博のイベントでの披露を控え、地域に根差した伝統文化が、再び大きな注目を集めることに期待が高まっています。(取材日 2025年7月8日時点の内容です)
華麗な舞と哀愁漂う和楽器の音色
淡輪盆踊りの最大の魅力は、その華麗な舞にあります。淡輪の山々や打ち寄せる波をイメージした手の動きは、優雅さとしなやかさに満ちています。特にベテランの踊り手になるほど、そのしなやかさは一層際立ち、彼女らのパフォーマンスに憧れを抱く若手の踊り手も少なくありません。淡輪盆踊りは、単なる舞ではなく、その動きの一つひとつに地域の情景が映し出されています。そして、そこには淡輪を愛する人たちの、この土地への深い想いと、踊りを受け継ぐ情熱が息づいているのです。
太鼓の調子は、「オノコロ音頭」(*)と「阿波踊り」を混ぜたようなリズムが特徴的です。音頭には、江戸時代後期から江戸を中心に広まった代表的な俗曲である七七七五調の都都逸(どどいつ)が使われています。この独特のリズムが、淡輪盆踊りで使われる太鼓、三味線、篠笛といった和楽器と絶妙な相性を見せ、踊り手たちの軽やかなステップにあわせて、観る者すべてを惹きつける一体感を生み出しています。
太鼓の音色は、力強さや躍動感、大地に響くような荘厳さを感じさせ、三味線の音色は、艶やかさや哀愁、粋な趣を感じさせてくれます。
そして篠笛のやわらかい音色からは、懐かしさや神秘的な雰囲気が漂います。和楽器ならではの奥深さや情景描写に富んだ音の響きが、華麗で優雅な舞を盛り立てます。
複雑な足さばき
子どもたちが苦戦していたのが、複雑な足さばきです。そのステップは難しく、一筋縄ではいきません。
舞台上で、その足さばきを解説しているのは、淡輪盆踊り保存会 前々会長の竹内 邦博さん(81)です。竹内さんは、大阪府文化財愛護推進委員として、府内の文化財の維持や啓発活動にも尽力されています。
「淡輪にいる限り、郷土の盆踊りを大事にしてほしい。淡輪盆踊りは地元の誇りです」と熱く語る竹内さんは、27年前に小学校での指導を始めて以来、会長を退いた今もなお、この伝統を伝えるために表舞台に立ち続けます。
「右足ちょっと出す。左足出す。左足引く。右足でくりっと回る。左足そろえて左足から後ろへ1、2、3、4、(手を)パン!――」
わたしもチャレンジしてみましたが、右足で回転する前後の足さばきがとても難しく、何度ステップを踏んでも上手くいきません。その難しいステップに気をとられるため、そこへ しなやかな手の動きを加えるなど至難の業です。
ところが、1年生から参加している子どもたちは、5、6年生になる頃には、この動きを完全にマスターしてしまうそうです。
長年にわたる指導と、淡輪盆踊りへの情熱が、この伝統をしっかり次世代へと繋いでいます。
ちなみに、現在のステップは1970年の大阪万国博覧会で大きく改良されたものです。それまでは、2歩進んで1歩下がるといった、なかなか前に進まないステップでした。多くの人に見ていただきたいという想いから、淡輪盆踊りはより洗練された舞へと進化を遂げました。
竹内さんの掛け声を懐かしいと笑う中筋 楓さん(28)は、小学生の頃、この場所で淡輪盆踊りを教わっていました。
そして、現在は、淡輪盆踊り保存会のメンバーです。
「淡輪盆踊りを廃らせたくないという竹内さんの言葉や保存会のみなさんの情熱に心打たれました。淡輪盆踊り保存会は、淡輪盆踊りが好きという気持ちがあれば誰でも参加できます。伝統継承は敷居が高いと思われがちですが、とても開かれた会なんです」
淡輪盆踊りは、この地に古くから伝わる貴重な伝統芸能であり、地域ならではの豊かな文化を育む大切な存在です。保存会の方々が指導に携わることで、世代間の絆を深め、地域コミュニティを活性化させることにも貢献しています。
保存会には、10代から80代まで、総勢およそ32名のメンバーが所属しており、若い世代がこの大切な伝統を引き継いでいくことの重要性を強く感じます。
中筋さんは、踊り手としてだけでなく、三味線の弾き手としてもご活躍中です。
いつも暮らしのそばにあった「淡輪盆踊り」
ベテランの踊り手、中塩路(なかしおじ) ヨシ子さん(81)と硲(はざま) ふく子さん(80)の暮らしのそばには、いつも淡輪盆踊りがありました。
「5つの頃から踊ってる。もう75年になるわ。親戚の集まりや同窓会のたびに、楽しく踊ってた。昔、この地域では、お盆のお供え物を海へ流す風習があってな、その帰りに盆踊り会場へ向かうのが夏の恒例行事やったんよ。足が痛くても、腰が痛くても、太鼓が鳴ったら自然とカラダが動き出す。みんな淡輪盆踊りが大好きやねん」
淡輪盆踊り保存会は、コロナ禍に3年ほど活動を休止していた時期もありましたが、有志が集まり活動を再開させました。
「この伝統は、なんとしてでも受け継ぐ。絶対に途絶えさせたらあかん」
その言葉を裏付けるように、額の汗をぬぐいながら熱心に指導を続ける踊り手たちの姿に胸が熱くなりました。
そして、村田 文香さん(75) は、1970年の大阪万国博覧会に参加した踊り手の1人です。
「当時、バス2台貸し切って60人で現地へ向かったんよ。2カ月練習して、みんなで浴衣そろえて、編み笠かぶって踊ったわ」
目を細め、遠い記憶を辿るように言葉にしてくれた村田さん。
二十歳の頃の大切な想い出です。
当時の貴重な写真を見せていただきました。
地域の伝統を受け継いでゆくことの大切さ、それに関わる人々の情熱が、遠い時代からメッセージとして届けられたようで、感極まりました。岬町淡輪地区という小さな町の盆踊りが、町を愛する人の手によって400年以上もの長い間、その灯を消すことなく大切に守り継がれてきたのです。
その舞は、世界へ発信されています。
そして、再び、世界へ発信します。
55年ぶりとなる関西万博での披露ですが、村田さんは体力に自信がないため、不参加を決めました。あの時の輝かしい記憶と、自身が果たせなかった分まで、次の世代へ託します。
本番を目前に控えた練習最終日。みなさんの表情からは、淡輪への熱い想いと、揺るぎない自信に満ちた頼もしさが感じられました。
関西万博が繋いだ伝統
410年もの長きにわたり、岬町淡輪の人々の心と共に踊り継がれてきた「淡輪盆踊り」。
その歴史と情熱が凝縮された舞は、2025年、開催中の関西万博の舞台で、新たな歴史の1ページを刻みました。
夕暮れ迫る18時55分、大阪湾のきらめく海を背景に世界中から集まった人々が見守る中、やぐらの上で誇らしげに舞い踊りました。
河内音頭をはじめ、関西の27市町が参加を果たした「交流盆踊り」。
この中で、町単位での参加は岬町のみでした。
笛の澄んだ調べと、力強くも心地よい太鼓の響き、艶やかな三味線の音色が会場全体を包み込み、踊り手たちの足元の所作一つひとつに、受け継がれてきた伝統の重みが宿ります。
浴衣姿の踊り手たちが軽やかにステップを踏み、淡輪の山々や打ち寄せる波を手で表現するたび、この地で代々受け継がれてきた人々の情熱と、伝統の奥深さがひしひしと伝わってきます。
この優雅で力強い舞は、410年という長い歴史の中で、淡輪を愛する人々の手によって大切に守り継がれたもの。その伝統芸能がもつ普遍的な魅力が、国境を越えて国際的な舞台で響き渡ります。
淡輪の人々にとって、この万博での披露は、単に踊りを見せるだけでなく、自分たちのルーツと誇りを世界に発信する、かけがえのない機会となりました。
小さな町の人々の情熱が、55年ぶりとなる関西万博の舞台で、祈りのバトンを繋いだのです。
それは、4世紀以上にわたる伝統が、輝かしい未来へと受け継がれていく感動的な光景でした。
祭りを未来へ繋ぐ「盆踊り」
全国的に地域のお祭りが少子高齢化、人口減少、若者の祭り離れ、そして新型コロナウィルス感染症の影響といった様々な要因で減少傾向にある中、岬町ではその流れに逆行するように、夏祭りが活況を呈しています。
岬町教育委員会生涯学習課の小川 正純 氏によると、特に盆踊り大会は、多奈川で3カ所(内1カ所は2025年中止)、深日(ふけ)で1カ所、孝子(きょうし)で1カ所、淡輪で2カ所の計7カ所で開催されており、世代を超えた取り組みとして盛り上がりを見せているとのことです。
(盆踊り大会の詳細につきましては、岬町公式HP「令和7年度盆踊りの開催について」(外部リンク)をご確認ください)
その理由のひとつに「盆踊りの魅力」を挙げられます。
今回ご紹介した淡輪盆踊りをはじめ、人形浄瑠璃の影響を受けたとも伝えられている多奈川盆踊りなど、その歴史はいずれも古く、魅力あふれるものばかり。これらの伝統継承に情熱を注ぐ保存会のみなさんの尽力と地域住民の結束力も、祭り存続のための重要なファクターとなっています。
祭り離れが進む現代において岬町の盆踊りがこれほどの活気を保っているのは、単なる過去の慣習の維持にとどまらない、地域が一体となって未来へ繋げようとする強い意志があるからこそ。
「盆踊りを踊っていますか?」という令和の子どもたちへの問いかけは、その想いを象徴しているようで、胸に迫るものがありました。
郷土への深い愛を醸成する盆踊りは、地域の誇りであり、日本の宝です。未来を生きる子どもたちが、これからも故郷で踊れるように、日本らしさを失わないように、まずは地域の盆踊りの歴史に、思いを馳せてみませんか?
そして何より実際に盆踊り会場へ足を運んで、その熱気を肌で感じてみてください。
伝統を紡ぐ人々の想い、地域の深い繋がり、そして感動がそこにあるはずです。
「日本人らしさって何だろう?」
伝統文化の継承に情熱を注ぐ人々との出会いは、その意義を深く考えるきっかけとなりました。
日本文化の豊かさや、未来に残したいその価値に、熱く心を揺さぶられた1カ月。
この感動が、次世代へと繋がる架け橋となることを願ってやみません。
この尊い文化が、10年、100年先の未来にも、変わらぬ輝きを放ち続けられるよう、わたしたち一人ひとりが文化の担い手となり、行動を起こすこと。
そのささやかな一歩が、やがてこの文化を未来へと紡ぐ確かな糸となることを信じて。
淡輪盆踊り、万博での感動をふたたび!
2025年、関西万博の国際的な大舞台で55年ぶりに披露された「淡輪盆踊り」の舞が、ふたたび観賞できる機会がやってきます。万博で観客を魅了したその優雅で力強い舞を間近でご覧いただけます。
毎年恒例の2会場での開催で、地域の方はもちろん、岬町外からもご来場いただけますので、この貴重な機会にぜひ盆踊り会場へ足をお運びください。
開催概要
1. 町民体育館西側会場
日程:2025年8月14日(木)~15日(金)
*予備日 8月16日(土)
時間:18:00~23:00
場所:町民体育館西側(Googleマップ参照)アクセス:南海本線「淡輪駅」から徒歩約8分。
2. 青少年グラウンド会場
日程:2025年8月15日(金)~16日(土)
時間:19:30~23:00
場所:青少年グラウンド(Googleマップ参照)
アクセス:南海本線「淡輪駅」から徒歩約10分。
【ご来場のみなさまへお願い】
会場には駐車場がございません。公共交通機関でお越しくださいますようお願いいたします。
「淡輪盆踊り」
淡輪盆踊りに関するお問い合わせは、下記までお願いいたします。
電話:090-1020-6359(淡輪盆踊り保存会
北風 様)
公式Instagram(外部リンク)
取材協力
淡輪盆踊り保存会のみなさま
淡輪小学校 様
岬町教育委員会事務局 生涯学習課
小川 正純 様
株式会社 電通PRコンサルティング
田端 相実 様
*記事内容は取材当時のものです。
この記事へのトラックバックはありません。