太平洋戦争末期、アメリカ軍の攻撃で、一夜にして1800人以上の命が失われた大阪の「堺大空襲」から10日で80年となり、市内で犠牲者を追悼する式典が開かれました。
80年前の昭和20年、堺市は、アメリカ軍による空襲を5回にわたって受け、このうち最も被害が大きかった7月10日の「堺大空襲」では1860人が亡くなりました。
10日は、逃げ場を失った数百人の市民が亡くなったとされる南海電鉄・堺駅近くの慰霊碑の前で地元の市民グループが追悼式を開き、参加者が黙とうをささげました。
式典では、当時、隣町に疎開していた袋谷一郎さん(91)が「思い出の詰まった小学校は跡形もなく、自宅のあった場所を掘ると宝物だったビー玉が焼い弾で溶けてどろどろになっていた。戦争ほど悲惨なものはないということをもう少しだけ長生きして伝えていきたい」と話しました。
最後に、参加した人たちは慰霊碑の前に火をともしたろうそくを並べ、平和への誓いを新たにしていました。
式典に参加した大学生の1人は「堺で大きな空襲があったことを若い世代が知る機会をつくっていきたい」と話していました。
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