開港30年、苦難が続いた関空 次の10年は視界良好を(産経新聞)

昭和40年代、騒音問題が深刻化していた大阪国際(伊丹)空港に代わる新空港の最有力地は神戸沖だった。滑走路4本の海上空港という壮大な試案もあったが、神戸市の宮崎辰雄市長(当時)は再選選挙の対立構造を背景に「空港建設反対」を表明し、後に「一生の不覚」と悔いた。