住宅開発に伴う調査で、消滅したと考えられていた「無名塚17号墳」から青銅鏡や墳丘の一部が確認されました。百舌鳥古墳群周辺の歴史像を補う発見として注目されています。
堺市内には、世界文化遺産「百舌鳥古墳群」で知られる一帯に、名称が付かないまま番号で呼ばれる「無名塚」と総称される古墳が約20基点在しています。都市開発などで墳丘が失われ、「無名塚〇号墳」と整理番号のみで管理されてきました。
その一つ「無名塚17号墳」は、市の記録上「円墳? 径約20メートル」「全壊」とされ、消滅したとみられていました。ところが2025年6月、宅地開発の届け出を受けた市の確認調査で、住宅地内に残る高さ約2メートルの築山が古墳の墳丘である可能性が浮上。一部を発掘したところ、古墳特有の盛り土構造が確認されました。
さらに、5世紀ごろの築造を示す高坏(たかつき)とともに、青銅鏡が出土。銅鏡は当時の有力者層の副葬品とされ、被葬者の社会的地位や対外関係を考える上で重要な資料です。
都市化の中で埋もれていた歴史
百舌鳥古墳群周辺では、戦後の急速な市街化により、小規模古墳の多くが消滅しました。無名塚もその一群で、「存在しない」と認識されていた古墳から副葬品が確認された意義は大きいといえます。
大王級古墳だけでなく、その周辺に築かれた中小古墳の実態を把握することは、当時の政治的ネットワークや地域支配構造を解明する手がかりとなります。今回の発見は、百舌鳥古墳群を取り巻く歴史像の再検討につながる可能性があります。
住宅地の一角にひっそりと残っていた「無名」の古墳。名前はなくとも、考古学史に確かな足跡を刻む発見となりました。








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